明治時代に建てられた文化財民家を改修した1日1組の宿。
日下部民藝館に隣接しており、飛騨高山の歴史や文化を肌で
感じられる特別な空間です。
【販売期間】 2024年12月17日~2025年12月16日
【特典使用期間】 2026年12月31日
【特典の受け取りについて】
NFT購入後、ご購入者様だけが開くことのできる袋とじ機能からご確認いただけます。
※本NFTは二次流通できません。
「高山祭屋台会館」は高山祭の名物である祭屋台(まつりやたい)の実物を常設展示する施設です。私は学芸員として、国内外から来館される方々に屋台の魅力をお伝えするとともに、この貴重な文化財を次の世代へつなげるための保存展示に長年携わっています。
高山では春と秋の年に2回、大きな祭が開催されます。毎年4月14、15日に行われる山王祭と、10月9、10日に行われる八幡祭で、両方を総称して「高山祭」と呼ばれます。時期が異なる同じ祭のようにも思われがちですが、実際には春と秋では、祭を執り行う神社も、祭礼地区も、そして登場する屋台も違います。当館でご覧いただけるのは、櫻山八幡宮が行う秋の高山祭の屋台です。年に3回の展示入替をしながら、全部で11台ある屋台を4台ずつ交代で展示しています。
高山祭は江戸時代から続く由緒ある祭です。長い歳月をかけて屋台が発展してきた過程で、特に大きな節目とされるのが、江戸時代の途中から飛騨国が徳川幕府直轄の「天領」になったこと。それまで京や上方など西の文化の影響を色濃く受けていたところに、今度は江戸の文化がどっと入り込んできたのです。そのため高山祭の屋台には東西の文化の影響がみられ、両方のいいとこ取りになっています。江戸の要素の一例が、屋台の上段が上下に伸縮して、屋根の高さを変えられる仕組みです。これは江戸型の屋台の特徴で、もとは江戸城の門をくぐるための工夫と言われています。
さらに、高山祭の屋台の面白いところは、京や江戸の影響を受けた上で、飛騨匠と呼ばれる郷土の職人たちの技術によって、よりハイレベルな進化を遂げている点です。「戻し車」の発明はその最たるものでしょう。元からある4つの車輪とは別に付けられた5番目の小さな車輪で、これがあることで屋台をその場で方向転換できるようになりました。車輪を1つ増やすというと単純なアイデアにも聞こえますが、重さ2トンを超す屋台全体をいったん上に持ち上げて横方向に回転させる戻し車の構造には、非常に高度な技術が詰まっています。こうした高山独自の工夫や進化も見どころです。
祭屋台の全体には、木工、彫刻、漆塗、彫金細工などを駆使した精巧な装飾が施されています。高さが7~8メートルもある屋台の隅々に至るまで、さらには表からは見えない部分にまで、飛騨匠の細やかな技や美意識がいきわたり、見飽きることがありません。どの屋台のどの部分も同じ装飾はいっさいなく、そして一つひとつの装飾やデザインにはすべて意味があります。例えば神馬台(じんまたい)の大幕には般若の面が大きく刺繍され、地には紫鱗(むらさきうろこ)の紋様が織られています。神馬台は別名を「暴れ馬」というほど、昔は荒々しさのある曳行を伝統としました。迫力ある般若の形相や、勇敢さを表す図柄である紫鱗の紋織は、並び合うほかの屋台に威圧感を与える意図もあったのでしょう。装飾一つひとつの意味を知るほどに、屋台の個性や物語が浮かび上がる面白さがあります。
複数の屋台に彫刻作品が残る谷口与鹿(よろく)の卓越した腕前にも圧倒されます。中でも鳳凰台(ほうおうたい)の「谷越獅子の波渡り」は、幅2メートル超のケヤキの一枚板から彫り出された大作。ご覧になると実感されると思いますが、獅子や波が驚くほど立体的で躍動感があります。これは木目の方向まで緻密に考えて彫ってあるからなんです。屋台彫刻の名手として早くも10代後半から活躍した谷口与鹿には、多くの作品とともにさまざまな逸話も残ります。私が特に感銘を受けるのは、制作へのあくなき探究心です。彫刻のモチーフへの理解を深めるための、勉強や観察にも熱心だったのでしょう。龍を彫るにあたり大阪の四天王寺に伝わる史料を必要とした際には、与鹿の頼みでお兄さんが数日がかりで赴いて書き写してきたようです。希代の名工であると同時に、学問を究める学者みたいですよね。叶うことなら時空を越えて与鹿に会ってみたいと願わずにいられません。
飛騨匠がこうして思う存分に屋台装飾に技を注ぎ込めたのも、旦那衆と呼ばれる当地の豪商たちの財力による支えがあったからです。加えて、屋台行事の継承において、江戸時代から現在に至るまで重要な役割を果たしているのが、屋台組と呼ばれる地元住民の組織です。この屋台組が、それぞれ1つの屋台を所有し、維持管理や祭礼当日の巡行を担っています。
屋台の寿命は100日と言われます。毎年、祭の2日間だけ動かすので、およそ50年で寿命がくる計算になり、その周期で大掛かりな修理が行われます。昔も今も、修理を手がけるのは飛騨匠の技を持つ名工や伝統工芸の職人さんたちです。そしてこの修理の機会は、匠の技が受け継がれていく大切な場にもなっています。屋台が建造された当時の文書記録は、江戸や明治期の大火などで焼失して現存しないため、後年の匠たちは修理で触れる実物を通して先人の技を学んできたのです。
解体修理を通して新たに発見される先人の工夫や知恵もあります。最近では鳳凰台の修理が3年がかりで行われましたが、分解してみると車輪の形が正円ではなく、わずかに楕円形であることがわかりました。鳳凰台は夜祭の巡行の際に、墨絵の龍の見送り幕を取りつけます。提灯のあかりに照らされて、そこに、車輪の形状からくる屋台のゆらゆらとした揺れも加わり、龍がまるで天に昇っていくように見えるんです。祭の本番でどれだけ美しく映えるかを考え抜いて、職人たちが技巧や工夫を凝らしたことがうかがえます。
祭を終えた後の小規模な修理や調整は、当館に展示している間に、職人さんたちが来訪して作業が行われます。朝に修理を始めて、そのまま昼休憩もとらずに長時間没頭される方が多く、皆さんそれほどに真剣です。修理で手を加える箇所はできるだけ最小限にとどめ、歴代の匠たちが積み重ねた仕事を大切に残そうとする姿勢も、すべての職人の方々に共通するものです。
屋台組からお預かりしている宝ともいえる屋台を、適切な展示環境で保管する責任を、当館として常に意識しています。屋台は普段、それぞれの屋台組の区域に建つ、厚い土壁の屋台蔵で保管されていて、この蔵の庫内環境が屋台の保存に極めて理想的であることが調査でわかっています。ですからこの屋台会館も、屋台蔵の環境にできるだけ近づけることを目指して開館後も改良を重ねてきました。屋台の保存維持で難しいのは、使われている材質が木や金属、漆、織物など多岐にわたること。ベストな数値を試行錯誤し、温度22~23℃、湿度65~75%という今の設定値にたどりつきました。冬は厳寒となる高山で、館内の温度や湿度を乱高下させないよう、屋根を入り組んだ形にして空気層を確保しています。展示フロアをぐるりと囲んで1階から2階へと続く見学者通路も、実は同じく空気層を確保する大事な役目を兼ねています。
屋台組の方々が屋台に向ける情熱や愛着、誇りは並々ならぬものがあります。当館の展示替えの日には、朝早くから大変な作業をお願いすることになるのですが、どの組の方も嫌な顔一つせずに協力してくださいます。屋台のこととなると皆さんとにかく真剣で、息の合ったチームワークの見事さにも感嘆します。屋台組の人は、すべての屋台に対して敬意や関心を持ちつつも、「うちの屋台が一番」と心の底から自慢に思っていらっしゃるんですね。これも昔からの伝統です。
高山祭に向けた準備を、この地方の言葉で祭やわい(用意)と呼びます。祭やわいを通して、屋台組の人たちは世代を超えて交わり、若い世代は年配者からたくさんのことを教わります。屋台を中心として濃い人間関係が結ばれていることは、高山ならではの伝統でしょう。祭囃子や屋台のからくり操縦などの稽古は、仕事や学校の合間を縫って何か月も前から積み重ねられています。そうした屋台組の皆さんの努力や祭にかける思いも、多くの方に知っていただきたいと思っています。そして高山の子どもたちにも、郷土の素晴らしい文化に誇りを持ってほしいですね。その願いもあり、市内の小学校が校外学習で当館を利用される際は、いつも以上に解説にも力が入ります。屋台を見て興味を持った子どもたちの中から、もしかすると未来の匠が出てくるかもしれませんね。
屋台組の中には、戸数が少なく人手不足でご苦労されているところもありますが、そうした組の祭やわいに、首都圏などから助っ人として毎年駆けつける方もいらっしゃいます。祭の当日に屋台を曳くのは組内の人に限る、というのが昔からの不文律です。一方で、その地区に新しく越してきた人も、地縁を問わず屋台組に入れるという柔軟性も伝統的にあります。外から来る人を寛容に受け入れる高山の気風は、天領時代に江戸からの文化の奔流を経験して培われたものでしょう。
祭やわいにしてもお囃子にしても、一朝一夕にできるものではありません。先祖代々続く行事や風習をかけがえのないものと受けとめ、真剣に向き合い、守り残そうとする人たちがいるからこそ、歴史ある高山の祭や町並みは今も変わらずあり続けています。山あいの町に受け継がれるきらびやかな祭屋台。それを支える人々のこころに、当館の展示を通して、さらには春と秋の祭を通して、ぜひ触れてみてください。
今から約1300年前、奈良の都の宮殿やお寺の
建築に従事していた飛騨の匠たち。
木を生かしきる類まれな技術、伝統は現代へと
受け継がれ、飛騨高山の地で息づいています。
今なお多くの人を魅了するこの地から、
先人たちの思いのこもった日本遺産構成文化財
をNFTアートにしてお届けします。
樹齢400~500年のイチイの木が持つ力強さ、あたたかみを生かし、見事な彫で作品に仕上げたのは現代の名工、東勝廣氏。「飛騨人の打つまっすぐな墨縄※のように、ただ一筋にあなたを思う」という万葉集の恋の歌にのせ、飛騨匠の仕事に対するゆるぎない姿、こころを表現しています。 ※墨縄(すみなわ):墨壺で使用する麻糸。墨壺は木材に直線を引く際に使用された大工道具
①日下部民藝館/限定無料NFT
国指定の重要文化財「日下部民藝館」の室内を撮影。
②高山祭屋台会館/限定無料NFT
「高山祭屋台会館」内に展示されている屋台を撮影。高山祭の屋台行事はユネスコ無形文化遺産に登録されています。
さらに! ① ②のNFTアートを
各施設でご提示いただくと
【日下部民藝館】&【高山祭屋台会館】の
※無料NFTの撮影:
Koichi/写真家~「心に響く写真」をコンセプトに日常を切り取る、
岐阜県高山市出身のフォトグラファー
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