FILE#002 飛騨匠の
物語
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飛騨高山で140余年の
歴史を紡ぐ町家建築。
歳月を重ねて増す味わいと、
すべてを包み込む度量の広さ
岐阜県高山市大新町1-52
日下部民藝館
日下部民藝館 日下部 勝
FILE#002日下部民藝館の
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[PROFILE] [PROFILE]
[PROFILE]
1960年東京都生まれ。75年、祖父の死去に伴い家族で高山へ移る。大学進学以降は首都圏で暮らし、33歳で再び高山へ。日下部家13代目当主として日下部民藝館の管理運営を担っている。60~80年代洋楽ロックを中心に音楽鑑賞を好み、同館でも音楽関連のイベントを多数開催。
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1960年東京都生まれ。75年、祖父の死去に伴い家族で高山へ移る。大学進学以降は首都圏で暮らし、33歳で再び高山へ。日下部家13代目当主として日下部民藝館の管理運営を担っている。60~80年代洋楽ロックを中心に音楽鑑賞を好み、同館でも音楽関連のイベントを多数開催。

日下部民藝館の来歴

飛騨高山の町並みに光を当てた
キーパーソンたち

明治に建てられた木造町家住宅を利用した「日下部民藝館」の開館は、1966(昭和41)年。私の祖父・日下部禮一の代のことです。同じ年にこの建物は国の重要文化財にも指定されました。私自身は当時まだ小学校にも上がる前で記憶は薄いのですが、大人たちが開館を祝う式典の写真が残っています。住宅を民藝館として公開するに至るまでには、いくつかの大きな出会いや出来事があったそうです。

日下部民藝館の来歴

開館から遡ること70年ほど前、アメリカの実業家で慈善家のロックフェラー3世が日本の民家建築の調査に来日され、高山にも足を運ばれました。そして日下部家住宅をいたく気に入り、驚くことに、丸ごと買い取ることを希望されたそうです。ニューヨークに移設して、日本展の目玉にするアイデアを持たれていたようですね。さすがに祖父はその打診を断りましたが、飛騨高山に残る木造民家に海外からも関心が注がれた出来事でした。その後も、建築写真家の二川幸夫さん、建築史家の伊藤ていじさんなど著名な方々が高山にお見えになり、この町並みをぜひ後世に残してほしいとの思いを祖父に語って行かれました。伊藤ていじさんはのちに、日下部住宅と、お隣の吉島家住宅の重要文化財指定にも尽力してくださりました。

もう1人のキーパーソンが、雑誌「暮しの手帖」初代編集長の花森安治さんです。暮しの手帖の連載「日本紀行」で飛騨高山を特集するなど、この地に深い関心を寄せられた花森さんは、日下部家も訪れて祖父と意気投合。以降も個人的なお付き合いが長く続きました。花森さんは高山を「おとぎばなしのような町」と表現され、守り残す大切さを祖父に熱心に語られたそうです。

日下部民藝館の来歴

花森さんをはじめとする方々の後押しを受けて、祖父はこの家を一般の方にも見てもらえるようにしようと決めました。また、祖父はもう一つ大きな関心事として、日用の器や生活道具に美を見いだそうとする柳宗悦さんが提唱した民藝運動に共感していました。そこで、建物の公開とあわせて、日下部家伝来の品々や飛騨を中心とした各地の民藝を展示する「日下部民藝館」として開館に至ったのです。民藝の名が付く施設は全国に20ほどあるなかで、当館のような個人での開設は珍しいようです。

日下部家住宅の見どころ

木を知り尽くした
棟梁の技が冴える梁組み

飛騨が江戸幕府直轄の天領だった時代に、日下部家は御用商人として代官所にも出入りする商家でした。当時の邸宅は明治8年の大火で焼失し、その4年後の明治12年に建てられたのが現在の建物です。祖父はこの家で生まれ育ち、母も小学校の低学年ごろまでここで生活していたと聞いています。祭の日にお酒や食事を振る舞ったり、囲炉裏を囲んで地区の人たちが語らったりと、昔から人々が集うコミュニティスペースでもあったようです。

日下部家住宅の見どころ

日下部家住宅が建てられた明治期は、長く続いた幕府の禁制が解け、それまで家屋の建築に関して敷かれていた厳しい規制もなくなりました。そのため、江戸時代の建築様式を忠実に再現しながらも、自由で新しい時代を感じさせる表現が織り込まれています。その一つが、入口を入ってすぐに頭上に広がる3階分の吹き抜けです。外観からはそこまで高さがあるように見えないので、中に入って驚かれる方が多いですね。構造部分は釘を1本も使わずに木組みだけで建ててあり、梁にはアカマツ、柱にはヒノキが使われています。この家を手がけた棟梁の川尻治助さんは当時、飛騨で一、二とも言われる優れた腕をもつ大工でした。木を知り尽くしていたからこそ、横からの負荷に強い性質のアカマツと、縦方向の圧力に強いヒノキを使い分けて、建物の強度化を図ったと考えられます。

建物内の各部屋も自由に歩き回ってご覧いただけるようにしています。中でも見どころは仏間にある大きな仏壇で、実は建物よりも古い260年以上前のもの。当時300両もの大金をかけて作られたと伝わります。仏壇の下にはコロが付いていて移動させることができ、明治8年の大火でも皆で懸命に運び出して難を逃れたそうです。仏壇を大切にするようにと、私も幼いころから繰り返し聞かされて育ちました。

日下部家住宅の見どころ
日下部家住宅の見どころ

自らの作品や技を後世に残したいという棟梁・川尻治助さんの思いを、建物の随所から私は感じ取ります。梁や柱には極めて材質の良い木材が使われ、中でも本座敷まわりの柱は、見た目に美しく変形もしにくい柾目材(まさめざい)でそろえてあります。土壁も細部まで丹念に塗られ、いまだに崩れ落ちることはありません。専門家の調査によると耐震強度の面でも非常に理にかなった造りとのことで、飛騨の匠の技術と経験値の高さを感じます。

壮大で力強い吹き抜けの印象から、日下部家住宅は男性的な建物とも表現されます。対照的に、明治40年に西田伊三郎さんという棟梁により建てられたお隣の吉島家住宅は、繊細な造りが女性的な美しさにたとえられます。吉島家住宅も一般公開されていますので、それぞれの棟梁の気質が表れた両住宅を見比べてみるのも面白いと思います。

保存しながら活かす

異なる文化や人々を
包み込む家の“度量”

当館では10年ほど前から、建物を活かした文化活動にも力を入れています。音楽イベントをはじめ、伝統芸能や舞台芸術の公演など内容はさまざまで、ときにはキャバレーやビアホールに変身することもあります。最近では外国人のカップルに結婚式の会場として提供しました。また近年はメディアアーティストの落合陽一さんとコラボレーションした展示を毎年開催し、日下部家住宅の空間全体を使ったインスタレーション表現を来館者の方々に楽しんでいただいています。

保存しながら活かす2024年9月14日〜11月4日に開催された「落合陽一 どちらにしようかな、ヌルの神様の言うとおり:円環・曼荼羅・三巴」

こうした大胆な展示方法は、かつてなら実現が難しかったでしょう。国の重要文化財として原型を保つことが長らく最優先とされ、以前は壁に釘を1本打つにも届け出が必要で、小規模な展示替えが精いっぱいでした。それが5年ほど前から潮目が変わり、文化財を保存しつつ「活用」も重視する方針が文化庁から打ち出されました。それを受けて、当館もイベント開催を本格化させた経緯があります。特に音楽のイベントでは、高い吹き抜けによる響きの良さが好評です。奏者ご本人が「とても気持ちよく演奏できる」と口々に言われますね。

保存しながら活かす館内にはバーも併設

イベント開催を通して、私自身が改めて気づいたことがあります。テーマが伝統的なものであれ斬新なものであれ、どんな内容のイベントであっても家がそれを大きく包み込んで、不思議なほど空間と調和するんです。家の個性や風格が強すぎてイベントが霞むことはないですし、逆にイベントが勝ちすぎて家の価値が下がるようなこともありません。人間にたとえるなら、度量が広い家、という表現が浮かびます。建物もイベントもそこに集う人たちも、皆が等しく主役となる、そんな印象を毎回受けています。

60周年のその先へ

地域の魅力を伝える
ハブの役割を担いたい

家屋を守り残すことについて祖父や父から細かな指示を受けた記憶はないのですが、やはり国の重要文化財ですから、個人のものであって個人のものでない感覚はずっとありました。父の跡を継ぐため33歳で高山に帰郷したとき、この家は私にとって、精神的な重圧を覚える、気軽には足を踏み入れにくい場所だったんです。それが変わったのは、イベントを通してこの家をたくさんの人に使ってもらい、地元の若い人たちも折々にここ集うようになってからです。自分だけで管理や保存を抱え込むのではなく、皆で使い方をあれこれ楽しく考えていけばいいんだ、と気づいてから気持ちがずいぶん軽くなりました。

60周年のその先へ

来たる2026年に日下部民藝館は開館60周年を迎えます。この節目に原点に立ち返り、民藝に関する展示や企画にも力を入れる予定です。近年は民藝運動の考え方が海外でもじわじわと浸透していて、どんな展示方法で民藝を国内外の皆さんにお伝えしていくか、アイデアを練っているところです。加えて、私自身の願望として、この空間をちょっと格好良くしてジャズライブを楽しんでもらう「飛騨のブルーノート」を実現させたいという夢も温めています。

60周年のその先へ

日下部民藝館がある大新町のこの地区は、秋の高山祭で「豊明台(ほうめいたい)」という屋台を曳きます。私は民藝館の仕事を始めてから屋台組に入り、祭に参加するようになったのですが、この経験も郷土愛を深めることにつながりました。山間の小さな町で春と秋の年に2度、これだけの規模の華やかな祭が続いていることは、ほかに類をみない高山の特色だと思います。秋の高山祭を司る櫻山八幡宮の氏子の1軒として、このエリアの魅力をより深掘りして、訪れる方に知っていただきたいとの思いがあります。日下部家の約500坪の敷地には民藝館の建物のほかにも使われていない複数の蔵があり、ゆくゆくはそれらも活用して、エリアの魅力や情報を発信するハブの役割を果たしていきたいと考えています。

歳月とともにいっそう味わいを増すこの町家住宅に、ぜひ実際にお越しになり隅々までじっくりとご覧になってください。今に伝わる飛騨の匠の技や、棟梁の思い、そしてすべてを包み込む家の度量を、この空間で感じ取っていただければと願っています。

60周年のその先へ
日本遺産 飛騨匠の技・こころ NFTアート特別企画

今から約1300年前、奈良の都の宮殿やお寺の
建築に従事していた飛騨の匠たち。
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明治時代に建てられた文化財民家を改修した1日1組の宿。
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【特典使用期間】 2026年12月31日
【特典の受け取りについて】
NFT購入後、ご購入者様だけが開くことのできる袋とじ機能からご確認いただけます。
※本NFTは二次流通できません。
一位一刀彫/有料NFT
飛騨の伝統工芸
「一位一刀彫(いちいいっとうぼり)
万葉集
「かにかくに 物は思はじ
飛騨人の打つ墨縄の ただ一道に」

樹齢400~500年のイチイの木が持つ力強さ、あたたかみを生かし、見事な彫で作品に仕上げたのは現代の名工、東勝廣氏。「飛騨人の打つまっすぐな墨縄のように、ただ一筋にあなたを思う」という万葉集の恋の歌にのせ、飛騨匠の仕事に対するゆるぎない姿、こころを表現しています。 ※墨縄(すみなわ):墨壺で使用する麻糸。墨壺は木材に直線を引く際に使用された大工道具

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国指定の重要文化財「日下部民藝館」の室内を撮影。

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「高山祭屋台会館」内に展示されている屋台を撮影。
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入館料200円OFF

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Koichi/写真家~「心に響く写真」をコンセプトに日常を切り取る、
岐阜県高山市出身のフォトグラファー

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このポスターを見つけてください! このポスターを見つけてください!
1
岐阜県飛騨高山へ GO!
2
指定場所に掲載されているポスターからQRコードを読み込む
・中橋観光案内所:岐阜県高山市本町 1-2
・飛騨高山にぎわい交流館「大政」:岐阜県高山市本町 4-1
・飛騨高山まちの博物館:岐阜県高山市上一之町75
・飛騨高山観光案内所:岐阜県高山市花里町5丁目51 (JR 高山駅前)
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専用サイトから2つのNFTアートを取得
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日下部民藝館と高山祭屋台会館でNFTアートを提示すると、
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  • NFT 配布期間(2 種):2024年12月17日~2025年12月16日、
    または各5,000 枚配布次第終了となります。
  • 各施の設割引特典:2025年3月31日までご利用できます。
  • 割引特典は1名様、1回限りのご使用となります。
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