FILE#005 西国観音巡礼

物語
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古くから女流作家に愛された
「文学の寺」。
観音様の優しい想いと
美しい景色に包まれ
心の拠りどころを得てほしい
西国十三番札所  滋賀県大津市石山寺1-1-1
大本山 石山寺
座主 鷲尾 龍華(わしお りゅうげ) 氏
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[PROFILE]
1987年生まれ。もともと美術に興味があり、同志社大学では西洋美術史を専攻。卒業後、一般企業に入社。3年後、種智院大学に編入学し、仏教や密教を修める。生家でもある石山寺にて修行を続け、2021年に第53代、石山寺初の女性座主となる。空気がきれいで時間の流れがゆったりしている大津を愛し、好物は琵琶湖名物の鮒ずし。動物好きで4匹の猫と4羽のインコと暮らす。
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1987年生まれ。もともと美術に興味があり、同志社大学では西洋美術史を専攻。卒業後、一般企業に入社。3年後、種智院大学に編入学し、仏教や密教を修める。生家でもある石山寺にて修行を続け、2021年に第53代、石山寺初の女性座主となる。空気がきれいで時間の流れがゆったりしている大津を愛し、好物は琵琶湖名物の鮒ずし。動物好きで4匹の猫と4羽のインコと暮らす。

神に選ばれし地

金の伝説を持つ岩山を見ながら
石山の地のパワーを受け取れる寺

石山寺の創建は747年(奈良時代)で、ときの聖武天皇の祈願によって良弁(ろうべん)僧正が開いた真言宗の大本山です。石段を登ると、寺名の由来でもあり天然記念物に指定されている硅灰石(けいかいせき)の岩山があります。私は、この雄大な景色を見るのが大好きなのですが、当寺がこの地に建てられた興味深い伝説もあります。

金の伝説を持つ岩山を見ながら石山の地のパワーを受け取れる寺

それは、良弁僧正が聖武天皇の命により「東大寺の大仏造立に使う金を求め」祈願の場所を探していた時のこと。石山の地で、岩に座る老人(比良明神の化身)に「祈願にふさわしい場所」を聞いたところ、「まさにこの場所、ここは観音の霊地」と言い、消えてしまったそうです。

この岩に聖武天皇から預かった観音様を置いて祈ると、なんと東北地方で金が産出されたとか。祈願が達成され、観音様を動かそうとしても岩から離れなくなったため、聖武天皇が「石山に寺を建て、広げていきなさい」と申され、良弁僧正が開基したと伝えられます。

雄大な硅灰石(けいかいせき)から見上げる多宝塔は、人気の撮影スポット雄大な硅灰石(けいかいせき)から見上げる多宝塔は、人気の撮影スポット
春夏秋冬いろいろな表情を見せてくれる硅灰石春夏秋冬いろいろな表情を見せてくれる硅灰石

紫のゆかりの寺

琵琶湖に映る美しい名月が
世界に誇る『源氏物語』を生み出した

平安時代(794〜1180年)になると都が奈良から京都に移り、石山寺は国の寺という特徴が少しずつ薄れ、個人の祈願を受け入れるようになりました。「石山詣(いしやまもうで)」という言葉ができたほど、当寺のお詣りが人気でした。当時は女性が入れない寺院も多かったようですが、「石山寺は学問の寺」ともいわれて堅苦しくない雰囲気を持ち、女性も安心してお詣りできる寺だったからでしょう。『更級日記』や『和泉式部日記』にも記され、平安時代の女流作家もたくさん訪れています。

『源氏物語』の作者・紫式部もその一人で、石山寺に7日間も籠り、境内から琵琶湖に映る中秋の名月を観て「物語を思いついた」と伝えられています。当寺では、このエピソードがとても大事にされていて、後世に描かれた式部の肖像画だけでも100点以上を保管しており、式部が使ったとされる大きな硯(すずり)なども伝えられています。

本堂の一角にある「源氏の間」。紫式部が物語を書いた部屋といわれている本堂の一角にある「源氏の間」。紫式部が物語を書いた部屋といわれている
琵琶湖に映る美しい名月が世界に誇る『源氏物語』を生み出した

昨年は、大河ドラマ『光る君へ』(2024年)に心を動かされた多くの人々が石山詣をしてくださったのですが、例えば、藤原道長や藤原詮子 など、ドラマの登場人物のほとんどが当時、参詣に来ていたという記録も残っているのです。

紫式部という平安時代の女流作家が生み出した『源氏物語』が、千年以上もの時を経て読まれ続け、今またドラマとなって人々の心を熱くさせることに凄さと、人々が培い守ってきた日本文化の深さと尊さを感じます。

花山法皇への感謝

才覚に溢れた法皇のお手により
甦った西国三十三所の観音巡礼

大河ドラマのおかげで、ことのほか嬉しかったことがあります。個性的でユニーク、和歌や絵画にも才能を発揮し、政治的功績も残したとされる花山天皇(在位984〜986年。出家後は花山法皇)を人気俳優が演じたこともあり、今まさに注目されたことです。

花山法皇「千年御遠忌」に建立された灯篭花山法皇「千年御遠忌」に建立された灯篭花山法皇「千年御遠忌」に建立された灯篭
花山法皇「千年御遠忌」に建立された灯篭花山法皇「千年御遠忌」に建立された灯篭

東大門(重文)からすぐのところに、花山法皇の御名を刻んだ灯篭がありますが、昨年からこの灯篭を眺めたり、写真を撮る若い方が増え、法皇に目を向けてもらえたことがありがたかったですね。と言うのも花山法皇は、当時、忘れ去られていた「西国三十三所」を270年ぶりに探り当て、観音巡礼を復活させたお方だからです。三十三所には、各寺院の霊験や観音様の公徳をうたった「御詠歌」があり、法皇の御作と伝えられています。

歩く巡礼の意義

歩くことで心の調子を整え
観音様との出会いを目指し進みゆく

石山寺は、西国三十三所観音巡礼の第13番札所となっています。本尊は、日本で唯一の勅封秘仏(天皇の命令で封印された秘仏)如意輪観音菩薩(重文)で、33年ごとに御開扉が行われます。

本堂(国宝・平安時代)外陣は1602年、淀殿の寄付で増築された本堂(国宝・平安時代)外陣は1602年、淀殿の寄付で増築された

西国巡礼は自分の足で歩いて観音様に出会う楽しみがありますが、とても素敵なことだと思っています。一つは、「歩くこと」は運動になります。体を動かさないと「考えてばかり」になりやすく、心の調子も今ひとつに。歩く魅力は、体だけでなく心も柔らかくなることだと思います。

もう一つ、西国三十三所観音巡礼は「観音様という存在を目指して歩く」という意味が強くあると思っています。観音様という目的地があり、自分の足で歩いて行ってやっと出会えるからこそ、そこに価値や感動があるのでしょう。さらに、歩きながら自然の美しさを感じたり、観音様にお話しすることなどを考える、その過程もまた大切な時間になるはずです。

歩くことで心の調子を整え観音様との出会いを目指し進みゆく
歩くことで心の調子を整え観音様との出会いを目指し進みゆく

西国のお寺にはいろいろな観音様がいらっしゃりお姿も一つひとつ異なります。石山寺は女性的な雰囲気ですが、三井寺さんであれば力強い感じなど、それぞれに個性や風情があり、いろいろな出会い方ができるのも楽しみの一つだと思います。

慈悲の仏を心に宿す

人ではないよ」という声を感じ
心の拠りどころをつくってほしい

私はこの寺で生まれ育ち、子どもの頃も遊んで帰ってくると観音様の前で手を合わせ、何もなくても「今日はこんなことがありました」と報告する、それが日常でした。そういう毎日だったせいでしょうか、小さい時から「お坊さんになりたい」と望み、中学生で得度。「一度、広く社会を見てから僧侶に」という父の方針もあり、大学卒業後は一般企業に勤めました。

「働くって、社会って大変だな」と実感し、周りに心を痛めた人たちがいたこともあって、「人の心に寄り添う仕事がしたい」と思い始めた頃です。弘法大師空海にまつわる展覧会に行くことがありました。そこでお大師さま24歳の時の直筆を観て、「同じぐらいの年齢の方がこのような偉業を成している。自分はいったい何をしているんだろう」とショックを受けました。お大師さまと自分の年齢を重ねるなど非常におこがましいのですが、それがターニングポイントとなり、本格的に仏教を学ぶことを決意したのです。

「一人ではないよ」という声を感じ心の拠りどころをつくってほしい

皆さんにお伝えしたいのは、お寺は「安寧の場所」ということです。もし、孤独だと思うなら、お寺で観音様や仏様をいろいろなところに感じて心が安らぐでしょう。また、真言宗では自然の一つひとつが仏様の現れとしているので、岩にも花にもあらゆるところに仏様の眼差しがあり、「自分を見ていてくれる」とされています。

観音様はやはり「慈悲の仏様」だと思います。「観」という字がついていて、すべてのことを観てくださっています。小さな時からずっと見守ってくださる存在であり、また、私が目指すべき姿でもあります。

本堂の内陣本堂の内陣

皆さん、拝むときは仏様を目の前に見ながら手を合わせますよね。でも、何度も何度も手を合わせていると不思議なことに、自分の心の内に観音様の居場所ができてくるんです。「あなたは一人ではないよ」と、ずっと言い続けてくれる優しい存在が観音様です。

誰もが社会の中で暮らし、生きていて、時には気持ちが弱くなったり、悩んだりすることがあると思います。そういう人に寄り添うのが仏教と、私は確信しています。皆さん、どうぞ気軽な気持ちで、西国を巡って観音様に会いにいらしてください。

COLUMN
生きのパワースポット!?
長生きのパワースポット!?
穴をくぐると「願いが叶う」とされるパワースポット「くぐり岩」。手前の池には、巨大な鯉が何匹も悠然と泳いでいる。最古参の職員が石山寺に来た当時、すでに今と同じ70〜80cmの大きさだったとか。「50年以上は生きている。鯉が一番おつとめの長い職員かもしれませんね」と座主は笑う。鯉を撮る参拝者も多く、隠れた撮影スポットになっている。