FILE#006 西国観音巡礼

物語
三井の晩鐘
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千年を超え、幾多の日本の宝を
伝え続ける不死鳥の寺。
西国を歩き、観音様に手を合わせ
先人の想いを皆の心に宿したい
西国十四番札所  滋賀県大津市園城寺町246
総本山三井寺(園城寺)
執事長 福家 紀明(ふけ きめい) 氏
FILE#006三井寺(園城寺)
[PROFILE] [PROFILE]
[PROFILE]
1959年生まれ。龍谷大学卒業後、生まれ育った三井寺にて修行。毎年、修験道発祥の霊峰として崇められてきた奈良県・大峰山での修行を課し、自身の芯を問い直す。「小さい頃の夢は体育の先生だった」というスポーツ好き。大学までは短距離の選手で陸上競技に打ち込んだ。現在、びわ湖大津観光協会の副会長として地域活性にも注力。小中学生の登校時の見守り隊は20年続けている。
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1959年生まれ。龍谷大学卒業後、生まれ育った三井寺にて修行。毎年、修験道発祥の霊峰として崇められてきた奈良県・大峰山での修行を課し、自身の芯を問い直す。「小さい頃の夢は体育の先生だった」というスポーツ好き。大学までは短距離の選手で陸上競技に打ち込んだ。現在、びわ湖大津観光協会の副会長として地域活性にも注力。小中学生の登校時の見守り隊は20年続けている。

不死鳥のごとく

あまたの困難を乗り越え
昔も今も物語を刻み続ける三井の寺

三井寺(みいでら)は長い歴史の中で、数多くの困難を乗り越えてきたため「不死鳥の寺」とも呼ばれる、天台寺門宗の総本山です。広大な境内の中、特に金堂(国宝)前の大きな道は時代劇の撮影も多いため、皆さん足を運んだことがなくても、映画『るろうに剣心』やドラマ『大奥〜誕生〜』(ともに2012年)などで目にしているかもしれません。

桃山時代の名建築、金堂(国宝)桃山時代の名建築、金堂(国宝)
秘仏の本尊、弥勒菩薩は天武天皇から賜わったと伝えられている秘仏の本尊、弥勒菩薩は天武天皇から賜わったと伝えられている

創建は686年。古代史上でも有名な壬申の乱(672年)が関わっています。天智天皇の後継をめぐり、弟・大海人皇子と息子・大友皇子が争い、後に大友皇子の息子が、父の菩提を弔うために建てたのが当寺です。

正式名は園城寺(おんじょうじ)ですが、昔から「三井寺」で親しまれています。由来は、霊泉が湧き出る閼伽井屋(あかいや)という井戸があり、この霊泉が天智天皇、天武天皇、持統天皇の産湯に使われたと伝えられます。そして、智証大師円珍(ちしょうだいしえんちん)が儀式の際にこの霊水を使ったため、この井戸が「御井(みい)」と言われ、後に「三井(みい)」になったといいます。

清らかな水音が響く閼伽井屋(あかいや)。閼伽とは仏に供える水のことで、今も仏事に使用されている清らかな水音が響く閼伽井屋(あかいや)。閼伽とは仏に供える水のことで、今も仏事に使用されている

その後、源氏の庇護を受けながら、度重なる焼き討ちの被害にもかかわらず大寺として発展していきました。文禄四年(1595年)、豊臣秀吉の闕所(けっしょ)により一山堂宇を失う災厄にみまわれますが、北政所が金堂を再建、毛利輝元、徳川家康も尽力し、現在の姿に復興されました。長い歴史の中で何度も復興している、不死鳥の力が宿っている寺院といえるでしょう。

龍神から幸福を授かる

子どもを想う龍神の心優しき伝説。
寺では今も、鐘の音を琵琶湖に捧ぐ

歴史が古いので見どころはたくさんありますが、2つの鐘は有名で面白い逸話もあります。一つは、慶長7年(1602年)から今も現役の「三井の晩鐘(ばんしょう)」。美しい響きで知られ「日本三名鐘」に数えられています。一般に「除夜の鐘は百八つ」ですが、この鐘には「龍神伝説」があり、「百八つを超えて五百も六百も、いくらでも」たたくのが当寺の大晦日です。

子どもを想う龍神の心優しき伝説 寺では今も、鐘の音を琵琶湖に捧ぐ

その伝説は、昔、龍神が蛇の姿で人にいじめられ、救ってくれた男性の前に女性の姿となって現れて夫婦になった。妻は「出産の時に覗かないで」と言うのですが、夫が禁を破って産小屋を覗くと、子どもを抱いた大蛇がいた。驚いた夫がもう一度覗いてみると、いたのは丸い玉をしゃぶった子どもだけ。その玉は龍の目玉だったので、殿様が欲しがり、玉は献上されました。

すると琵琶湖から龍神が現れ、もう一つの目玉を子どもに与えて、「両目を失ったので何も見えず、時がわからない。鐘をついて1日の終わりを知らせてほしい。大晦日にはたくさんの鐘をついて1年の終わりをおしえてほしい」、「除夜の鐘をついた人には幸福を授ける」と言い残し、琵琶湖に戻ったそうです。皆さんも、この伝説を思い浮かべながら三井の晩鐘をついて、龍神からの幸福を受け取ってほしいと願います。

子どもを想う龍神の心優しき伝説 寺では今も、鐘の音を琵琶湖に捧ぐ

もう一つは「弁慶の引き摺(ず)り鐘」です。平安時代後期、当寺と争っていた比叡山延暦寺の僧兵・武蔵坊弁慶が三井寺の鐘を盗み、怪力で比叡山まで持って上った。しかし、鐘をついても音が響かず、「イノー、イノー…(帰ろう、帰ろう…)」と鳴るばかり。怒った弁慶は鐘を谷へ投げ捨てたとか。今ある鐘のキズやヒビは、その時の跡だといわれています。

世界最古のパスポート

千年以上前の文書や仏像が
目の前にある「奇跡」を感じて

さらに、多くの歴史的遺産が伝えられていますが、中でも2023年 ユネスコ「世界の記憶」に登録されたうちの一つ、国宝『智証大師円珍関係文書典籍』は世界に誇る歴史的文書といえます。

この文書は、当寺を隆盛に導いた宗祖 智証大師円珍が唐へ留学した際、唐の役所から「あなたは勉強のために唐を回っても良い」と発行された通行許可証「過所(かしょ)」。原本でほぼ完全な状態で残っており、「世界最古のパスポート」とされる文化財です。

千年以上前の文書や仏像が目の前にある「奇跡」を感じて

それにしても千年以上前の文書や仏像、建物が残っているなんて考えられない、奇跡ですね。当寺は何度も苦難にあいましたが、代々、寺の者全員が「大切なものを絶対に守る」と、強い意志で守り抜いたからこそ今があります。そして私も、先人が守ってきた日本の宝を後世に伝えていく使命があると強く思っています。しかし、「伝えること、守ること」も、やはり時代によって形を変えていくこともある、と感じているところです。

観音菩薩の存在とは

古来から、手を合わせれば
見守ってくださる観音様がいる

当寺の観音堂は、西国三十三所観音巡礼の第14番札所です。本尊は、智証大師円珍が香木に刻んだと伝えられる如意輪観音菩薩(平安時代・重文)で、33年ごとに開扉される秘仏。物心ついてから毎日手を合わせている観音様です。

西国札所14番 観音堂。境内にはカフェも併設されている西国札所14番 観音堂。境内にはカフェも併設されている

私はこの寺に生まれたので、小さな頃から「観音様に手を合わしてこいよ。見守ってくれはるさかいな」と言われて育ち、神仏が身近にありました。また以前は、どこの家庭でも「毎日、仏さんにお水とご飯あげて」という習慣があり、子どもたちは親のまねをして鈴をチーンと鳴らし、手を合わせていました。町に行くと当たり前にお坊さんが歩いていて、買い物や飲み食いをしながら、観音様のいい話を人々に伝えたりしていました。たいそうな信仰というものではなく、暮らしの中に神仏の存在が根付いていたのです。

信仰は人に押し付けるものではない、と私は思っています。しかし、日本の古き良き伝統文化を後世に伝えていくためには、培ってきた日本人の心をまったく無くしてはいけない、とも考えています。時代が変わっても、人々が気楽にお坊さんといろいろな話をして笑ったり楽しんだりしながら、観音様をお詣りし、神仏に手を合わせ、見えざるものへの謙虚さや尊敬の心を宿してほしいと思っています。

観音堂の内陣観音堂の内陣

皆さん、堅苦しく考えず、西国三十三所のお寺を巡ってみてください。「鐘をついて幸福を授かろう」「歴史的な建造物を見たい」など、きっかけは人それぞれで良いのです。ゆっくり歩いてお詣りすることで自然とふれあい、心がほどけて自分に向き合える時間になると思います。

西国三十三所を歩くということ

江戸時代の巡礼はお楽しみ旅行。
琵琶湖の景色や名物も味わってほしい

今回の企画では、私も皆さんと一緒に歩きます。ざっくばらんに「お坊さんってどんな生活しとりますの?」なんて聞いてください。世間話をしながら「お寺は敷居の高いところではない」と感じてほしいですね。さらに、ともに手を合わせて、観音様に見守っていただき、「不死鳥の寺」が宿す長い歴史の息づかいを感じ取ってもらえたら嬉しいです。

江戸時代の巡礼はお楽しみ旅行。琵琶湖の景色や名物も味わってほしい

巡礼というのは、特に江戸時代は人々の「楽しい旅行」という側面も大きかったのです。もちろん観音信仰が根っこにありましたが、琵琶湖の景色を眺めながら歩いたり名物料理を堪能したり、お楽しみの旅行でした。西国三十三所観音巡礼では、ぜひ大津や琵琶湖の絶景、名物も味わってみてください。

また、江戸時代には弁慶の引き摺り鐘にちなんで「三井寺辯慶(べんけい)力餅」という人気の餅菓子が生まれました。当寺境内の茶店で楽しめますので、お詣りの後、一息ついてはいかがでしょうか。西国三十三所観音巡礼はたくさんの楽しみ方があります。ぜひ、小さなきっかけ一つを携えて、先人が行き交った道を巡ってみてください。

三井寺へと続く疎水運河の道は絶景スポット三井寺へと続く疎水運河の道は絶景スポット
江戸時代の巡礼はお楽しみ旅行。 琵琶湖の景色や名物も味わってほしい
COLUMN
で変わった観音堂の位置
観音堂から石段を上ると展望台に。多くの文人も愛した美しい景色が広がる観音堂から石段を上ると展望台に。多くの文人も愛した美しい景色が広がる
観音堂は、平安時代以前、もっと山の奥にあったという。ある日、僧侶たちが「老僧が『山の上では険しくて誰でも登ってこれず、人々を救うことができない。もう少し皆の近いところに下ろしてくれ 』という同じ夢をみた。そこで、今の位置に観音堂を下ろし、誰もが観音様をお詣りできるようにしたのだとか。