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物語



天空の寺院。
ライブ文化・観音巡礼で
ありのままの自分を感じてほしい
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1967年生まれ。花園大学在学中に京都・天龍寺、卒業後は三井寺、延暦寺などの寺院で修行。地域の歴史・文化を愛し、「聖徳太子1400年悠久の近江魅力再発見委員会」や滋賀県の伝統野菜「豊浦(といら)ねぎ」の復活プロジェクトにも関わり、地域の文化啓蒙に奉仕する。「日本遺産 西国三十三所観音巡礼」日本遺産推進協議会、事業推進理事として日本の精神文化継承に力を注ぐ。趣味は詩作。詩集「和の詩」を毎月1000部発行している。
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1967年生まれ。花園大学在学中に京都・天龍寺、卒業後は三井寺、延暦寺などの寺院で修行。地域の歴史・文化を愛し、「聖徳太子1400年悠久の近江魅力再発見委員会」や滋賀県の伝統野菜「豊浦(といら)ねぎ」の復活プロジェクトにも関わり、地域の文化啓蒙に奉仕する。「日本遺産 西国三十三所観音巡礼」日本遺産推進協議会、事業推進理事として日本の精神文化継承に力を注ぐ。趣味は詩作。詩集「和の詩」を毎月1000部発行している。
1400年の歴史
観音像を自ら彫り、開いた寺
観音正寺(かんのんしょうじ)は繖山(きぬがさざん)の山頂(433メートル)にあります。「天空の寺」と呼んでいるのは、平地ほど低くなく富士山ほど高くなく、天と地の中間にあるからです。そして、6月頃から繖山に笹百合が咲きます。別名は「塞の花(さいのはな)」で、天界と人間界を分け隔てるところに咲く花といわれているのです。
創建は605年。用明天皇(585〜587年頃)の命により、皇子である聖徳太子が仏教を日本に広めるために開いた寺です。太子は繖山の岩の上で天人の舞を見たそうです。この山に霊力があると感じ取った太子は、岩山に籠り、数体の観音像を彫りました。ここから観音正寺の歴史が始まったのです。この霊力のある岩山を「奥の院」と名付け、大切に保存しています。
人魚伝説の始まり
多くのストーリーを残してくれた
観音正寺は「人魚の寺」とも呼ばれています。聖徳太子が人魚に出会ったという創建伝説があるからです。
太子が仏教を広める旅をしている時、琵琶湖岸で哀れな声に呼び止められます。葦の茂みから人魚が現れ、「前生は琵琶湖の漁師でしたが、魚を殺生し過ぎた罰でこの姿になり、毎日魚にいじめられ非常に辛く苦しいのです。この山に寺を建て、私を成仏させてください」と言う。人魚の願いを叶えるため太子は自ら観音像を彫り、山頂に観音正寺を開いたと伝えられています。

その人魚がミイラ化して残り、寺宝として保管されていました。けっこう有名でしたが、長い歴史の中で人魚にはいろいろと苦労をさせてしまいましてね。幕末か明治のはじめ頃、この寺の酒好きの職員が、酒代のかたとして寺に内緒で酒屋に人魚を渡してしまったのです。約40年も酒屋の家主のもとにあったのですが、住職(私の祖祖父)や信徒さんが協力して、やっとのことで人魚を返してもらったそうです。残念ながら約30年前に焼失してしまい、今は残っている人魚の資料や写真を展示しています。ぜひご覧いただき、人魚伝説も楽しんでください。
香り漂う巨大な観音像
日本の歴史と文化が認められた証し
本堂は西国三十三所観音巡礼の第32番札所で、本尊は千手観世音菩薩です。人魚とともに焼失したため、2004年に再建したお堂と観音様です。
本尊はたいへん希少な白檀という香木で彫られ、台座も合わせて高さ6.3メートル、国内最大級の大きさなので「山寺にこんな巨大な観音像が!」と、皆さんきっと驚かれるでしょう。

観音様を彫る方法が説かれている昔のお経に「観音様は白檀の木で彫るととても良い」という記述があり、先代住職(私の父)が「白檀で本尊を彫るぞ!」と決意。でも日本に白檀の木はなく、仏教が誕生したインドから取り寄せようと考えたのですが、インドで白檀は輸出禁止です。
20代だった私はパスポートを取り、海外渡航して初めてのインドへ。インド政府に掛け合いましたが、簡単に輸出を許可するはずがありません。何度も何度もお願いするうちに、日本文化継承の協力者に出会うなど、たくさんのご縁を得て、白檀23トンの輸出許可をいただきました。

皆さんには、香りの良い白檀で彫った観音様を間近で見て、触れて、感じていただきたいと思います。近づいて手を合わせたり、真横から眺めたり、写真を撮ったりして、ぜひ観音様と一緒に楽しんでください。散華(さんげ)という蓮の花びらをかたどった紙を手に、本尊を撫でて観音様とのご縁を結ぶこともできますよ。
ただ忘れてならないのは、白檀の本尊があるのは、日本人が仏教という宗教や文化を千年以上の時を経てもなお、大切に守り続けてきたことをインド政府が認めてくれたからです。日本の精神文化を絶やさない心を皆さんと繋いでいきたいと願っています。
歴史に大きな影響
御朱印めぐりも西国から始まった
西国三十三所観音巡礼は日本の歴史や文化に大きく関わってきました。西国三十三所の始まりは718年と非常に古く、「日本の巡礼文化の原点」といわれています。後に西国に影響されて国内に多数の巡礼ルートができました。最近流行っているご朱印も、実は西国の納経朱印がもとなのです。
エルサレムやバチカン市国、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラ(全て世界文化遺産)など海外にも巡礼文化はたくさんありますが、日本との違いがあります。海外では主に、1つの聖地を目指す巡礼ですが、西国であれば観音様を巡る旅であり、何カ所も立ち寄り多くの神仏に手を合わせる、それが私たちの巡礼です。
巡礼は寺詣りだけではなく、たくさんの土地に寄り、地のものを味わい、町の雰囲気や文化を感じます。それにより地域の伝統や文化が受け継がれてきたといえるでしょう。
この寺に生まれた私は、特に意識せず自然な流れでこの職に就きました。先の住職である父の後ろ姿を見てきたことと、何よりこの土地が大好きだったからです。つまり、私の命や職は無意識のうちに巡礼の歴史から恩恵を受けていたわけです。この土地を愛し、巡礼文化に感謝をして、これからも日本の精神文化を守り、継承していくことを使命として力を注ぎたいと考えています。

ライブ文化・巡礼
より良い手足の使い方を感じてほしい
今回のプロジェクトでは、私も皆さんと一緒に山道を歩きます。ぜひ「素直な自分を見つめる機会」にしてほしいですね。何かとせわしない時代、そういう時間も必要ではないでしょうか。
歩くということは、足も痛くなるし、体も疲れるし、だんだんと辛くなってきますよね。でも観音様という目的を目指すから歩き続けられます。そして歩き続けていると物事をあまり考えなくなり、自分の肩書とか格好とかどうでもよくなってくるんですね。だからこそ「本当の自分に出会える、本心を見つめられる」のだと思います。

今の時代、頭だけで考えて「意味があるからやる、意味がないからやらない」が、クセになっている方も多いのでは。でもね、意味がないことから学べることもあると思いますよ。「日本の文化を守る」「巡礼文化を守る」ことも似ています。「利益になるからやる」というより「利益にならないかもしれないけど未来のためにやりたいな」というものでしょう。
歩いてお寺を巡り、気持ちを無にして本心を発見したり、自然や町の風景を見ながら日本の文化を体感する、そういう歩みを一緒に楽しみたいですね。

私は「巡礼はライブ文化ですよ」と皆さんにお伝えしています。歩いて体を使う”ライブ”ですからね。人間は2本の手と2本の足を使っていろいろなことをしますが、どう手足を使い、どう生きていくかが大事だと思います。例えば、他人の財産などを奪うことに手足を使うのではなく、苦しんでいる人がいたら2本の足で駆け寄って、2本の手を差し出す、そういう使い方ができる人になりたいですね。
自分の手足の使い方を見直すためにも西国を歩いて、自分自身の素の姿や本心を感じてみませんか。かといって、「巡礼したら何が得られますか?」と聞かれても、私は「わからないですわ」と笑って答えるでしょう。目に見えるもの、触れるものが全てではないですよ。「何となく感じられる、自分に大切なものが目に見えないけど感じられる」それが巡礼の面白さで楽しさだと思います。
楽しみといえば、近江牛の牛丼や琵琶湖の幸を使った料理もおすすめです。おいしい地物でお腹をいっぱいにして、自然の風景や観音様のお詣りで心を満たしてください。

